2011年7月31日日曜日

たましいの救い(Ⅳ)

ダビデによる
103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。

2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、
 恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

5 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

(Ⅲ)のところで、霊、心はともにおられる

神の御霊が教えてくださるので、たましいの知らないことを
知っているのです。ですから、静まり(夜になると)世の出来事から
離れる時、上よりの知恵が与えられます。それが内なる証しです。

ダビデは多くのところで、我がたましいよ主をほめたたえよと、
彼の霊である心が、彼の知性、たましいを促しているのです。
たましいは自分を取り巻く状況、直面する問題に直接触れながら
生きています。

しかしその世の物事に縛りつけられるのではなく、
主を仰ぎ見、主の御わざを賛美する時、
世の苦しみから救われ平安と勝利を体験することが出来るのです。

主は、私たちのすべての咎を赦し、私たちのすべての病をいやして、

私たちのいのちを穴から贖い、あなたに、
 恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

この様な素晴らしい主が私たちを守り導き助けてくださるのです。

2011年7月28日木曜日

たましいの救い(Ⅲ)

詩篇16:7 私は助言を下さった主をほめたたえる。
 まことに、夜になると、私の心が私に教える。
8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、
 私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
 私の身もまた安らかに住まおう。

この御ことばは、ダビデが歌った信仰の告白です。
霊は心であり、たましいは知性であり、体に住むと言いました。
全ては霊が、私たちの中心であり、神は霊であるとあるように、
神の似姿に造られた私たちも霊なのです。人は霊です。

ですから、ダビデが歌っている様に、ダビデに助言を下った主が、
おられるのですが、これは聖霊、神の御霊なのです。神の御霊が、
彼は、私に助言されたとあります。この私とは、彼の霊です。

ダビデの霊に、神の御霊、聖霊さまが助言されたということです。
ダビデの霊である彼の心が、私に教えるとあります。
この教えられているダビデ(私)は彼のたましいです。

ですからダビデの霊である心が、彼のたましいである知性に
教えているということです。なぜこの様なことが起こるのでしょうか?
それは、彼が告白している通りに、彼は「いつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」御霊とともに
過ごしたからです。

私たちは、このダビデよりもはるかに良い条件にあるのです。
ダビデは、彼が告白しているように、彼の前に聖霊さま置いた。
彼の右に主の御霊がおられたので、彼の霊、心は御霊から助言を
聞くことができたということです。

しかし私たちは、私たちの内に神の御霊がおられるのです。ですから
私たちの霊、心はいつも御霊で有られる聖霊さまから教えを
受けることができるのです。私たちの信仰生活のなかで、
このダビデの様に、夜静まるとき、私たちの心が私たちの知性に
教えを受けるという体験、経験する様になるのです。

よく思い巡らしてください。多くの方が信仰生活の中で体験
しているはずです。これが内なる証しと言います。
ダビデと私たちとは条件が違います。私たちの内には御霊が
宿られます。これはイエスの贖いによる特権であり、しかし
ダビデの場合は彼自身が主の御霊を彼の前に置いたので
この様な体験することができたのです。

ですから、それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
 私の身もまた安らかに住まおうと、告白し歌うことが出来たのです。

2011年7月26日火曜日

たましいの救い(Ⅱ)

Ⅰコリント3:16 ~17
 あなたがたは神の神殿であり、
 神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。
 神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

 私たちの中心は霊です。前回のブロクで、霊はたましいを持っており、
体の中にあると言いました。

 霊が心だというのは、人間の最も大切であり、重要な中心的な
部分であるということです。

 私たちはイエス様の十字架の贖いによって救われました。
そして救われた結果として、父なる神様と私たちは本来あるべき姿に
回復することができたのです。

 それは神様と正しい関係(交わりを持つ)に回復できたということです。
そして御ことばにある様に、私たちは、神の御霊が、私たちに宿られる
神の神殿となりました。

 では、神の御霊は、私たちのどこに宿っておられるのかという
疑問が生じてくるはずです。神の御霊は、私たちが、イエスの贖い
によって、新しくされた私たちの霊の内におられるということです。
これが、神の神殿となった私たちの知るべき姿なのです。

 エペソ2:21~22
 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、
 主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、
 あなたがたもともに建てられ、御霊によって
 神の御住まいとなるのです。

2011年7月22日金曜日

たましいの救い(Ⅰ)

ヤコブ 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、

心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。

みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


この御ことばの「心に御ことばが植え付けられている。」

とは何を現わすのですか?

私たちは神の似姿に造られました。

私たちの神が三位一体(父、子、聖霊)である様に、

私たちも霊とたましいとからだで、私たちに人間は成り立っています。

この私たちの霊は、

神から離れ死んだような状態でしたが、

イエスの救いを受け入れ救われ、神様と正しい交わり(関係)を

持つことができ、私たちの霊は生きるようになったのです。

そして私たちの霊は心であり、

たましいとは知性(感情や、思い)であり、体の中にあります。

すなわち、霊はたましいを持っており、体の中にいるということです。

ですからこの御ことば、「心に植えつけられたみことば」

は何を意味するのか?すでに救われているということです。

ヤコブは、イスラエルのもうすでに救われている人たちに

手紙を送っているのです。

そして「すなおに受け入れなさい。

みことばは、あなたがたのたましいを救うことができる。」

とは、罪から離れ、素直に御ことばを受け入れ、

この世における営みの中で、汚れやあふれる悪を捨て去る

なら、どのような、痛みや苦しみや患難からも救いを

受けることができるのだということです。

何故ならたましいはこの世の営みに直面しているからです。

2011年7月21日木曜日

暗やみと光

暗やみが問題ではありません。光が無いのが問題なのです。
問題が問題なのではありません。祈らないのが問題なのです。

人生にイエス様をお招きしないのが問題なのです。
私たちはイエス様をお迎えし、イエス様に生きるべきです。
イエス様に生きるとは、自分に死ぬことです。

そうすればイエス様に生きることになります。
イエス様に生きるいのちは永遠であり、光輝く栄光に属する
いのちとなるのです。


ヨハネ3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。
その行ないが神にあってなされたことが
明らかにされるためである。

2011年7月20日水曜日

いやしにおける赦し

ヤコブ 5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の
長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を
 立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、
 その罪は赦されます。

この御ことばはよくいやしの祈りと関連して用いられます。
確かにいやしについて書かれています。

しかしよく注意してください。最後のところで、
「また、もしその人が罪を犯していたなら、

その罪は赦されます。」よく私は罪を犯したため、
もう病気は治る見込みがないと思いでんでいる人がいるものです。

しかし決してそうではありません。なぜなら、
「 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を
 立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、
 その罪は赦されます。」と、あるからです。

いやしの中にも罪の赦しも含まれているのです。

2011年7月14日木曜日

あなたの神はどんな神

少し前にどこかの薬品メーカーの風邪薬のコマーシャルで、

「あなたの風邪はどんな風邪」のが、ありましたが覚えておられますか?

私は教会の方々に、あなたがあった神様はどんな神様ですか?と、

よく聞いたことがありました。

私たちの教会の兄弟姉妹一人ひとりが、試練と苦しみの中で、神様との出会いを体験したこと、

直面する問題や状況の中で、神様の御力と御わざによっていやされ、問題から解放された

という証しを多くの兄弟姉妹から聞くことができました。本当に感謝です。


今もイエスさまが生きておられるます。私たちがいろんな状況に直面するときに、

それぞれ違った不思議な方法によって、神様は御力を顕わされるということです。



ローマ 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

2011年7月12日火曜日

十字架の福音

私がブログを始めようと思ったのは、イエス様の十字架の福音の恵みを

できるだけ多くの人に分かち合っていきたいと思ったからです。

イエス様の十字架の贖いは完全であり、完璧な贖いです。

十字架には当然でありますが、永遠の救いがあり、神様の子とされ、

天の御国を相続するという恵みを受けることができるのですが、

実際にはこれだけではありません。


この地の営みの中でも。イエス様を信じ救われた私たちは、

この空中の支配者である悪魔の支配から移され、

私たちはイエス・キリストの支配に生きる者となったのです。であるなら

私たちは悪霊が持って来る縄目である災いや病からいやされ解放されるということです。

イエス様の御名には権威があり、イエス様が39回のむち打たれて流された血、

肉裂かれ血を流され十字架にかけられたのですが、イエス様の血は勝利の血潮であり、

イエス様の血には敵である悪霊を断ち切る御力があるのです。

ですからイエス様に御名とイエス様の血の力を信仰によって行使するなら、

敵は逃げ去り災いから解放され病がいやされるのです。

 Ⅰペテロ 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2011年7月5日火曜日

ブログ始めました。

この度、ブログをはじめることになりましたので

宜しくお願いします。

イエスの様に生きる為に必要となる

御ことばを分かち合って行きたいと思います。



詩篇 18:29 、30

あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。

 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。


この御ことばはブログのタイトルになった御ことばです。