2011年8月20日土曜日

いのちは血の中にある

レビ記17:11
 なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。
 わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、
 これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

罪の値は死です。神がアダムに対して、それを食べる時必ず死ぬと言われた。
善悪を知る知識の木の実を取って食べました。ただ一つの戒めを守らずに、
初めの人であるアダムとエバは、神に背き罪を犯し死に定められました。

しかし慈愛深いの神は、死ぬしかない者の為に贖いの道を
与えてくださいました。それで旧約の人たちは罪によって死ぬしかない
いのちを、自分のいけにえとして羊やヤギ他動物を殺しその血を祭壇で
捧げて贖いを求めました。

しかしこの動物の血による贖いは完全な贖いではありませんでした。
罪を犯す度毎にいけにえの為に動物を屠るのです。
それでも完全ではありません。罪は人間が犯したのに
動物の(いのち)血はどこまでも(代用)代わりのもの、
仮のものに過ぎないからです。

ですから神の御子であられるイエスが人間となられて
この地に来られて、御自分が肉裂かれ血を流され十字架に
架かられたのです。このイエス様の贖いを全うされました。
イエス様の完全な贖いなのです。  

私たちはイエスの血によっていのち贖われいのちを得たのです。
イエス様の贖いを受けた私たちは罪死んだものでしたが、
イエス様のいのちによって生きる者となったのです。

そしてイエスの血は死に対する勝利の血であり、病や痛みや
すべての苦しみから解放することができる力がるのです。
イエスの打ち傷によっていやされたのです。

私たちの若さはわしのように、新しくなるのです。

詩篇103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
5 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

2011年8月13日土曜日

たましいの救い(Ⅴ)

Ⅲヨハネ 1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているよう
にすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

ヨハネは愛するガイオに手紙を書き送りました。当然であるのですが、
ガイオは既に救われている人です。霊が救われている人は
たましいにおいても救いを受けることができ、
幸いを得ることができるということです。

それは神様に愛される存在であるからです。
そして神様に愛され救いを受けている人は、この御ことばのように、
たましいに幸いを得ることができ、すべての点、
すべての営みが幸いを得ることができ、
また身体をも健やかになることができるということです。

これが神様を愛し、イエス様の贖いの恵みに生きる
私たちの特権なのです。このすばらしい特権を
求めて祈るべきなのです。必ずえることができます。

2011年7月31日日曜日

たましいの救い(Ⅳ)

ダビデによる
103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。

2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、
 恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

5 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

(Ⅲ)のところで、霊、心はともにおられる

神の御霊が教えてくださるので、たましいの知らないことを
知っているのです。ですから、静まり(夜になると)世の出来事から
離れる時、上よりの知恵が与えられます。それが内なる証しです。

ダビデは多くのところで、我がたましいよ主をほめたたえよと、
彼の霊である心が、彼の知性、たましいを促しているのです。
たましいは自分を取り巻く状況、直面する問題に直接触れながら
生きています。

しかしその世の物事に縛りつけられるのではなく、
主を仰ぎ見、主の御わざを賛美する時、
世の苦しみから救われ平安と勝利を体験することが出来るのです。

主は、私たちのすべての咎を赦し、私たちのすべての病をいやして、

私たちのいのちを穴から贖い、あなたに、
 恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

この様な素晴らしい主が私たちを守り導き助けてくださるのです。

2011年7月28日木曜日

たましいの救い(Ⅲ)

詩篇16:7 私は助言を下さった主をほめたたえる。
 まことに、夜になると、私の心が私に教える。
8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、
 私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
 私の身もまた安らかに住まおう。

この御ことばは、ダビデが歌った信仰の告白です。
霊は心であり、たましいは知性であり、体に住むと言いました。
全ては霊が、私たちの中心であり、神は霊であるとあるように、
神の似姿に造られた私たちも霊なのです。人は霊です。

ですから、ダビデが歌っている様に、ダビデに助言を下った主が、
おられるのですが、これは聖霊、神の御霊なのです。神の御霊が、
彼は、私に助言されたとあります。この私とは、彼の霊です。

ダビデの霊に、神の御霊、聖霊さまが助言されたということです。
ダビデの霊である彼の心が、私に教えるとあります。
この教えられているダビデ(私)は彼のたましいです。

ですからダビデの霊である心が、彼のたましいである知性に
教えているということです。なぜこの様なことが起こるのでしょうか?
それは、彼が告白している通りに、彼は「いつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」御霊とともに
過ごしたからです。

私たちは、このダビデよりもはるかに良い条件にあるのです。
ダビデは、彼が告白しているように、彼の前に聖霊さま置いた。
彼の右に主の御霊がおられたので、彼の霊、心は御霊から助言を
聞くことができたということです。

しかし私たちは、私たちの内に神の御霊がおられるのです。ですから
私たちの霊、心はいつも御霊で有られる聖霊さまから教えを
受けることができるのです。私たちの信仰生活のなかで、
このダビデの様に、夜静まるとき、私たちの心が私たちの知性に
教えを受けるという体験、経験する様になるのです。

よく思い巡らしてください。多くの方が信仰生活の中で体験
しているはずです。これが内なる証しと言います。
ダビデと私たちとは条件が違います。私たちの内には御霊が
宿られます。これはイエスの贖いによる特権であり、しかし
ダビデの場合は彼自身が主の御霊を彼の前に置いたので
この様な体験することができたのです。

ですから、それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
 私の身もまた安らかに住まおうと、告白し歌うことが出来たのです。

2011年7月26日火曜日

たましいの救い(Ⅱ)

Ⅰコリント3:16 ~17
 あなたがたは神の神殿であり、
 神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。
 神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

 私たちの中心は霊です。前回のブロクで、霊はたましいを持っており、
体の中にあると言いました。

 霊が心だというのは、人間の最も大切であり、重要な中心的な
部分であるということです。

 私たちはイエス様の十字架の贖いによって救われました。
そして救われた結果として、父なる神様と私たちは本来あるべき姿に
回復することができたのです。

 それは神様と正しい関係(交わりを持つ)に回復できたということです。
そして御ことばにある様に、私たちは、神の御霊が、私たちに宿られる
神の神殿となりました。

 では、神の御霊は、私たちのどこに宿っておられるのかという
疑問が生じてくるはずです。神の御霊は、私たちが、イエスの贖い
によって、新しくされた私たちの霊の内におられるということです。
これが、神の神殿となった私たちの知るべき姿なのです。

 エペソ2:21~22
 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、
 主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、
 あなたがたもともに建てられ、御霊によって
 神の御住まいとなるのです。

2011年7月22日金曜日

たましいの救い(Ⅰ)

ヤコブ 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、

心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。

みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


この御ことばの「心に御ことばが植え付けられている。」

とは何を現わすのですか?

私たちは神の似姿に造られました。

私たちの神が三位一体(父、子、聖霊)である様に、

私たちも霊とたましいとからだで、私たちに人間は成り立っています。

この私たちの霊は、

神から離れ死んだような状態でしたが、

イエスの救いを受け入れ救われ、神様と正しい交わり(関係)を

持つことができ、私たちの霊は生きるようになったのです。

そして私たちの霊は心であり、

たましいとは知性(感情や、思い)であり、体の中にあります。

すなわち、霊はたましいを持っており、体の中にいるということです。

ですからこの御ことば、「心に植えつけられたみことば」

は何を意味するのか?すでに救われているということです。

ヤコブは、イスラエルのもうすでに救われている人たちに

手紙を送っているのです。

そして「すなおに受け入れなさい。

みことばは、あなたがたのたましいを救うことができる。」

とは、罪から離れ、素直に御ことばを受け入れ、

この世における営みの中で、汚れやあふれる悪を捨て去る

なら、どのような、痛みや苦しみや患難からも救いを

受けることができるのだということです。

何故ならたましいはこの世の営みに直面しているからです。

2011年7月21日木曜日

暗やみと光

暗やみが問題ではありません。光が無いのが問題なのです。
問題が問題なのではありません。祈らないのが問題なのです。

人生にイエス様をお招きしないのが問題なのです。
私たちはイエス様をお迎えし、イエス様に生きるべきです。
イエス様に生きるとは、自分に死ぬことです。

そうすればイエス様に生きることになります。
イエス様に生きるいのちは永遠であり、光輝く栄光に属する
いのちとなるのです。


ヨハネ3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。
その行ないが神にあってなされたことが
明らかにされるためである。